繰り返される「国家破綻」アルゼンチンの事例に学ぶこと

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読者の皆様の中には、海外で会社設立や資産運用をお考えの方も多いと思います。その際に是非目を向けていただきたいのが、各国の経済情勢です。一般的にその国の判断材料として有効とされているのが、公的機関の発表する経済指標と言われています。経済指標とは経済状況を構成している要因である、物価、金利、貿易などを数値化したもので、政策金利、経済成長率(GDP)、物価上昇率、失業率、貿易赤字などがあります。この指標を見ることで、経済成長を支えるための秘めた実力と経済の発展、成長の可能性を判断することができます。その中でも特に注目していただきたいのが、物価上昇率と失業率、政府の政策運営能力です。物価上昇率でわかってくるインフレ・デフレは経済活動に直結するもので、企業自体も利益を左右されるものと言えます。また、失業率は消費者の購買意欲に直接関係してきます。政策運営能力は経済破綻などの、大きな問題を知る材料となります。

日本でも、この問題、特に経済破綻は広く取り沙汰されています。現在、日本の借金は1000兆円を超え、毎年絶え間なく利子が増え続けています。その上、ここ数年の財政赤字によって、その借金は数十兆円ほどに膨れ上がっているのです。今後しばらく進行する日本経済の赤字は、例え消費税を10%に引き上げたとしても賄いきれないと言われています。また、少子高齢化が深刻化しているため、今後、GDPが増えて、税収が増える見込みもありません。国債の暴落により、「日本経済の財政破綻が起こるのでは」との声も聞かれるようになってきています。各経済評論家によって多様な見解がありますが、日本は今後、投資先としても、企業発展と言う視点で考えても、期待度の低い国となりつつあるのです。

財政破綻は、過去に夕張市を始め、ギリシャでも起こってきた事態です。2000年前半にはアルゼンチンで経済危機、財政破綻が起きています。今回は日本人としても、海外に進出しようと思っている方にとっても無視することのできない経済破綻について、このアルゼンチンの例を参考に、実際に財政破綻に向かってしまった経緯と現在の経済情勢まで見ていくことにしましょう。

破綻前のアルゼンチンとは

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タンゴの国として知られているアルゼンチンは、過去20世紀半ばまでは、世界で指折りの農業国として栄えてきた富裕国でした。平均6%もの経済成長率を30年連続記録したこともあり、国民一人あたりのGDPは世界第4位と南米でも屈指の経済大国だったのです。ラテンアメリカ諸国の中でもヨーロッパの要素を持ち合わせた、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも称されていましたが、20世紀を迎える頃から、少しずつ経済が崩壊し始めました。

5000%のハイパーインフレ

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1946年、アルゼンチンではペロン政権が誕生し、保護政策と銘打って工業化編重政策を開始しました。しかし、試みた産業構造の改革は失敗に終わり、経済低迷の引き金となってしまいます。それに加え、二度に及ぶ第二次オイルショックによって、更にダメージは拡大していくことになります。インフレを解決しようと債務不履行を行うものの、国民の不満は大きくなり、その矛先を外に向けるかのように、英国とのフォークランド戦争が勃発します。この争いはアルゼンチン側の敗北となり、1988年ついに5000%のハイパーインフレと累積債務を生むことになってしまうのです。

ドルペッグ制を導入

ハイパーインフレに苦しんだアルゼンチン政府は、ドルペッグ制の導入を決断します。ドルペッグ制とは、自国の通貨をドルに連動させるために行われたもので、1ドル=1ペソとしたものです。結果、海外からの投資も上向きになりペソは上昇、ドル建ての債券を発行することで通貨の安定を図り、見事インフレを抑えることに成功します。1990年には失業率が9%に達成するほど、経済は右肩上がりを見せます。しかし、天然資源や公的企業などを外国投資家に売却してしまったことで、輸出が瞬く間に低下していきます。アルゼンチンの輸出は、その約30%がブラジルに頼るものでした。1999年にブラジルで起こった経済危機がブラジルの通貨引き下げを招き、レアル高となり、輸出はなおのこと低迷していきます。アルゼンチンの経済は急激に悪化を辿っていくのです。

ドルペッグ制を廃止できず

経済の悪化の原因はドルペッグ制度にありました。固定相場をやめて、変動相場に移行することで、輸出産業は再び伸びを示すことができます。ですが、国民の抱えている借金の大半がドル建てだったことや海外投資家の反対も大きく、政治的に強行することは不可能だったのです。アルゼンチンのドルペッグ制はIMFが融資する形で成り立っており、IMFは緊急政策の実行を融資の条件としました。しかし、これも労働団体のゼネラルストライキにより失敗となり、融資は断ち切られることになってしまったのです。これによって通貨ペソとアルゼンチン国債の暴落を招く結果となってしまいます。

破綻後のアルゼンチン

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破綻後のアルゼンチンは、国民に大きなダメージを与えました。通貨安のために、物価が上がり、賃金が下がるという悪循環を強いられたのです。生活に必要な日用品はもとより、食品までもが大きく高騰するインフラに見舞われます。例えば、小麦の値段では、1か月で6割も値を上げたのです。2001年12月1日には預金封鎖が実施され、国民は週に上限250ドルの預金しか下ろせない状況が続きます。年金が生活のすべてだった老人たちは、銀行に連日長い列を作りました。しかし、外国の大口取引だけは制限が掛けられておらず、わずか2か月ほどで150億ドルもの資金がアルゼンチンから消失してしまいます。混乱にますます拍車がかかり、暮らすことさえままならない国民はデモや暴動、犯罪などを繰り返しました。住むに堪えない治安の悪化は、イタリアやスペインに企業や人口を流出することとなり、国家を支えとなる医者などの知識人たちさえも、職を求めてアルゼンチンから移住していきました。貧困層のみが多く取り残される結果となってしまったのです。

アルゼンチンの回復と現在のアルゼンチン

国家破綻後のアルゼンチンは、最終的にIMFからの融資を受けることになり、ここで通貨変動制に移行されます。変動制に切り替わり通貨安となったことで、輸出量が増え始め、回復への兆しが見えてきました。なんと2006年には100億ドルというIMFからの多額の融資も全額返済し、国民の大半を占めていた貧困層も大きく減少しています。新政権に移り、まず宣言したのが、「対外公的債務1,320億ドル(約十七兆円)の一時停止」、いわゆるデフォルトが実行され、その後アルゼンチンの株価は5年間で約6倍にも上昇しています。

回復したかのように見えるアルゼンチンですが、実はまだインフレの傾向は収まっていません。最近では、信用を取り戻した国債の価値が再び下落しています。

まとめ

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アルゼンチンは、政府が債務超過したことで破綻しました。アルゼンチンを始め、財政破綻を経験した国の多くは、通貨安で回復を実現できています。しかし、ギリシャのようなユーロといった統一通貨を導入している国家では、通貨が急激に下がらないため、回復できかねない状況が続いています。ハイパーインフレや債務不履行を二度に亘り繰り返してきたアルゼンチンだけに、今一度これらを引き起こす可能性は高く、完全回復と安心できるものとは言い切れません。ですが、中南米のコロンビアは2001年に財政破綻寸前でしたが、この後、株価は15倍以上に跳ね上がっています。また、1999年にデフォルトを起こしたブラジルも今では南米きっての経済大国に成長しています。アルゼンチンを始め、破綻した国の世界的信用性は低く、具体的な形態は日本とも大きく異なる部分も多いですが、この中には、現在日本が抱えている不安定な日本経済を再生させるためのヒントが転がっているのかもしれません。また、投資する上でも回避したいこの経済破綻は、裏返せば一つのチャンスと言えるものなのかもしれません。

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